右脳と左脳と全部脳!?

2009-11-22 (Sun) 12:17[ 編集 ]
10月27日の八王子、中野市民センターでのコンサートご来場いただいた方々、本当にありがとうございました。今回はハープとチェロとの共演、華やかで楽しいコンサートとなり、嬉しいです。また、このコンサートを支えていただいている多くの方々に感謝、感謝です!

今回案外いろんな方から、コンサートの感想以外に、「トークが良かった」との感想をいただきました。
毎年トークは入れていたし、特に自分としては何か意識はしていなかったので、嬉しいながらも、意外だったりしました。

思いあたるのは、フェルデンクライスのレッスンで、約90分話していることかもしれません。話というか、動きの指示や気づきを向けてもらうこと、またその時のテーマに関連したことをお話するわけですが。

以前は、コンサートでのトークはどちらかというと苦手で、右脳(演奏)と左脳(おしゃべり)が行ったり来たりという感じになって、切り替えがむづかしかったんです。


それにくらべて、フェルデンクライスで話しているときは、いつも自分も動きを思い起こしながら話しているので、右脳(イメージすること)も左脳(話すこと)も使っているのかもしれないです。

それとフェルデンクライスでは生徒さんの動きを見ながらそれに応じて話しているのも影響しているかな?

ともかく、最近は、コンサートでおしゃべりをすると、お客様の雰囲気を感じられるし、場もほぐれるような気がします。そうすると私自身も演奏もしやすくなるんですね。また、次に演奏する曲のお話をすることで、何かお客様と一緒に楽しめる気がします。

これからも楽しいレッスン楽しいコンサートを続けていきますよ〜!

ある日のひとりごと

2009-10-19 (Mon) 01:33[ 編集 ]
すばらしいヴァイオリニストと普通のヴァイオリニストの違い(ちょっと乱暴なくくりですけど、、。)
というと、ついつい、ヴィルトーゾ的テクニックや、特殊なことに目がいってしまうように思うけど、例えば、モーツアルトの協奏曲では、そんなところは皆無。

もう少し進んで、メンデルスゾーンやベートーヴェン。それでも、少し専門的に勉強したらひくことはできる作品。
よっぽどパガニーニとかならば、そういうヴィルトーゾテクニックというものがあることで、壁がでてくるってことはあると思う。でもそういう曲でも、それを勉強しようとするレベルの演奏家にとって、その曲の長さの何パーセントくらいが、壁かというと、たとえば20〜30パーセントくらいじゃないのかな。

そうしてみると、巨匠たちの演奏とは、何がちがうのか、って考えてみると、その差は、まず、誰でもひける部分にある。当たり前の結論だけど。


凡庸な演奏と、創造にあふれた演奏。同じ楽譜を演奏していて、だいたい同じようなテンポで(幅はあるが、)楽譜に指示された強弱、表情で演奏されている。

しかし、インスピレーションあふれる演奏には、確かに何かちがうものを感じる。
が、具体的にどうちがうのだろう、。

音楽性とか、音そのものとか、うかぶけど、
違いを具体的に感じることができたら、と思う。





10月〜12月レッスン日、変更されています。

2009-09-02 (Wed) 22:05[ 編集 ]
ジュージャカルチャー フェルデンクライス
日程が変則的になっておりますが、よろしくご参加ください。充実した、楽しいレッスンにしていきます!

10月  14日   21日
11月 / 18日    25日

12月 / 9日    16日



動きやすい服装暖かい上着など、体温調節できるものをお持ちくださいね!


体験レッスンは随時可能です。
お申し込みは、ジュージアカルチャーまでどうぞ!
0120−128−450

教えながらカラダが変わる。

2009-07-01 (Wed) 23:02[ 編集 ]
なんとなくそうじゃないかなと、思っていたけど、フェルデンクライス教えているときに、動いている生徒さんたちを見ていると、結果、自分も変わっているのだ。イメージで動いているということでしょうけど。今日のレッスンの帰りも足取りが軽かったです。

レッスンの目的

2008-12-03 (Wed) 23:33[ 編集 ]
久々の更新、ちょっと思うことなど。

プラクティショナーになってこのかた、レッスンをするときにいつも考えていることは、何のためにフェルデンクライスのレッスンするのかなってこと。

フェルデンクライスのレッスンにくる方は、何か痛みをもっていたり、何かの技術に活かしたいとか、目的がある場合が多い。私もフェルデンクライスをはじめたきっかけはそうだった。切羽詰まった痛みでも、技術革新のようなものでも、どちらも自分の日々を質の高いものにしたいということに尽きるように思う。

フェルデンクライスプラクティショナーになったばかりの頃は、今思えば、一つ一つのレッスンを、いわば「実用化したい」という思いがあり、要は何かの症状に照準をあわせてレッスンを組み立てるというような意識があったと思う。
だけれど、フェルデンクライスのレッスンによる変化は、受ける人によって全然ちがう出方をする。というのは出発点になっているカラダが皆ちがうから。

こう書くとフェルデンクライスレッスンとは、全く何の脈絡のないもののように受け取られるかもしれないが、レッスンそのものは、股関節からはじまろうが、腕から始まろうが、必ず全体につながるようになっている。そして、全体につながれば、そのひとそれぞれの問題と考えていることがらに、良い影響や変化につながる。これは日々のレッスンのなかでますます強く感じられるようになってきたこと。

もちろん、ひとりひとりの生徒さんが問題と考えていることや興味をもっていることや、目的には、常に関心を払っている。そこからレッスンをつくるきっかけがあるから。
しかしレッスンそのものには特定の部分的目的は定めず、モシェ、フェルデンクライスのレッスンの流れにそって、それぞれ違う生徒さんの生身のカラダに向き合うようにしている。