教えながらカラダが変わる。
2009-07-01 (Wed) 23:02[ 編集 ]
なんとなくそうじゃないかなと、思っていたけど、フェルデンクライス教えているときに、動いている生徒さんたちを見ていると、結果、自分も変わっているのだ。イメージで動いているということでしょうけど。今日のレッスンの帰りも足取りが軽かったです。ジュージヤカルチャー、フェルデンクライス 7〜9月期
2009-06-17 (Wed) 23:19[ 編集 ]
ジュージャカルチャー フェルデンクライス7月 / 1日 15日
8月 / 5日 19日
9月 / 2日 16日
★レッスン室の温度はできる限り快適になるよう心がげておりますが、個人差もありますので、動きやすい服装と暖かい上着など、体温調節できるものをお持ちくださいね!
体験レッスンは随時可能です。
お申し込みは、ジュージアカルチャーまでどうぞ!
0120−128−450
あけましておめでとうございます!!
レッスンの目的
2008-12-03 (Wed) 23:33[ 編集 ]
久々の更新、ちょっと思うことなど。プラクティショナーになってこのかた、レッスンをするときにいつも考えていることは、何のためにフェルデンクライスのレッスンするのかなってこと。
フェルデンクライスのレッスンにくる方は、何か痛みをもっていたり、何かの技術に活かしたいとか、目的がある場合が多い。私もフェルデンクライスをはじめたきっかけはそうだった。切羽詰まった痛みでも、技術革新のようなものでも、どちらも自分の日々を質の高いものにしたいということに尽きるように思う。
フェルデンクライスプラクティショナーになったばかりの頃は、今思えば、一つ一つのレッスンを、いわば「実用化したい」という思いがあり、要は何かの症状に照準をあわせてレッスンを組み立てるというような意識があったと思う。
だけれど、フェルデンクライスのレッスンによる変化は、受ける人によって全然ちがう出方をする。というのは出発点になっているカラダが皆ちがうから。
こう書くとフェルデンクライスレッスンとは、全く何の脈絡のないもののように受け取られるかもしれないが、レッスンそのものは、股関節からはじまろうが、腕から始まろうが、必ず全体につながるようになっている。そして、全体につながれば、そのひとそれぞれの問題と考えていることがらに、良い影響や変化につながる。これは日々のレッスンのなかでますます強く感じられるようになってきたこと。
もちろん、ひとりひとりの生徒さんが問題と考えていることや興味をもっていることや、目的には、常に関心を払っている。そこからレッスンをつくるきっかけがあるから。
しかしレッスンそのものには特定の部分的目的は定めず、モシェ、フェルデンクライスのレッスンの流れにそって、それぞれ違う生徒さんの生身のカラダに向き合うようにしている。
安定?それとも固定?
2008-09-10 (Wed) 14:09[ 編集 ]
ときどき、フェルデンクライスの生徒さんたちや、音楽仲間と、からだの使い方の話やら、演奏方法の話になると、「しっかり安定させる」とか、「微動だにしない」「軸がぶれない」などのコトバが飛び交う。それらのコトバを使って表現するということは、なんらかの体感があるのだろうから、私としては、どういう感覚を持っているのかな、というところに、興味がわく。
感覚というのは、自分に対するフィードバックであり、貴重であるが、それをコトバにした場合には、必ずしも未来永劫に適切な「解釈」ではなかったりもする。
筋肉をグッと緊張させることを感じて、それを「安定」と解釈するかも知れない。
カラダは大きく動かしているから、「自由」と解釈するかもしれないが、さらに各関節の動きを、きめ細かくできる可能性があったりもする。
動きが出ないのは、何らかの思い込みで止めていることもある。「軸がぶれない」というコトバで、実際には、カラダを「固定」してしまうかもしれない。
とりあえず、心地が良く楽であることを羅針盤に、自分の感覚への「解釈」も点検してみる必要があると思う。






